おおはようございます、Rinです。
夏のような暑さの日があったかと思えば、今度は梅雨入り前のような肌寒さ。
暑がりな夫も今週後半から長袖で出勤するようになりました。季節の変わり目、皆さんも体調にはお気を付けくださいね。
今日は少し重い話になります。
以前も書きましたが、私たち姉妹は幼い頃に親との関係でとても苦労しました。
父の借金や荒れた生活で家庭は崩れ、祖父母に育てられながら必死に勉強し、奨学金やアルバイトで進学費用を作って家を離れました。
その父も晩年はアルツハイマー型認知症となり、最後は胆管がんで亡くなりました。
怖かった父が弱っていく姿を見守るうちに、長年抱えていた怒りも少しずつ薄れていった気がします。
私が離婚した時、父は何も言わず30万円を差し出しました。
不器用な父なりの愛情だったのかもしれません。
姉と交代で介護をし、最期を見送った時間は、父との関係に区切りをつける時間にもなりました。
そして父の希望もあり、長年離れていた母とも再会しました。
複雑な思いは残ったままでしたが、「逃げたままでは心の整理ができないこともある」と感じ、少しずつ向き合おうとしていました。
詳しくは以前の記事に書いていますので、まだの方はこちらからどうぞ→親の蒸発で揺れる子供の心と介護を終えて考えること
その後の話です。
母と再会した際、姉は母と連絡先を交換しましたが、私は当時の気持ちを整理できず交換しませんでした。
しばらくして、母から姉へ電話がありました。
「がんの疑いがあるから精密検査に付き添ってほしい」と。
ただ、その頃の姉自身も、がんを乗り越えてようやく普通の生活に戻り始めた時期でした。
自分たちが苦しい時にはいなかったのに、困った時だけ頼ってくる母に、温厚な姉も感情を抑えきれなかったそうです。
それ以来、しばらく母から連絡はありませんでした。
母は私たちを置いて家を出た後、別の男性と暮らしていましたが、その方も亡くなり、一人で実家近くに戻って静かに暮らしていたようでした。
叔母や従妹たちを頼りながら生活していたことも後から知りました。
それから数年後、再び姉に連絡が入りました。
「施設に入ることになった。実は借金がある。それだけは伝えておこうと思って」
姉は慌てて私に連絡してきましたが、私は「父の時と同じように相続放棄すれば大丈夫」と伝えました。
父も認知症だったため、知らない借金がある可能性を考え、亡くなった際には相続放棄をしています。
そのため、母についても同じようにするつもりでした。
その後、従妹から連絡がありました。
「〇〇施設に入所しました。施設の連絡先は私になっていますので、それだけ伝えておきますね」と。
嫌な気持ちは全くなく、むしろ私たちの代わりに色々してくれていることに感謝しかありませんでした。
お礼も兼ねて従妹の家を訪ねた時、母が親族に話していた過去の話が、かなり自分に都合よく変わっていたことを知りました。
従妹も「聞いていた話と違う」と驚いていました。
2時間ほど話した頃でしょうか。
従妹が奥から風呂敷包みを持ってきました。
そこには母から預かっている書類が入っていて、その中に一枚の借用書がありました。
実は母には借金があり、その借用書には「完済済」の印鑑が押されていました。
確認すると、借りた本人は別の人で、母と父は連帯保証人。
半世紀近く前の20万円の借金だったそうです。
借りた本人は返済できず、父も亡くなり、最終的に母へ請求が来たとのこと。
そして、施設入所後に従妹たちが全て返済してくれていました。
その額は130万円ほどになっていたそうです。
私は思わず「払ってしまったの?」と言ってしまいました。
従妹たちの気持ちも考えず、本当に失礼な言葉だったと後から後悔しました。
従妹たちは、最初から私たちに請求するつもりなどなかったそうです。
私が訪ねていなければ、この話を知らないままだったと思います。
さらに、母から預かっている葬式代や貴金属も見せてくれました。
ただ、それらについては従妹たちに受け取ってほしいこと、今回立て替えてくれた借金返済に充ててほしいこと、そして葬儀費用については私たち姉妹で負担するつもりでいることを伝えました。
子どもの頃に遊んでもらった従妹たち。
そして96歳になった叔母は、私の手を握りながら何度も「泊まっていきなさい」と言ってくれました。
母への感情は簡単には変わりません。
でも、従妹たちとの縁は、これからも大切にしていきたいなと思っています。
近いうちに、また何か美味しい物でも持って顔を出そうかな。
そうそう、その後施設にも寄ってきました。
その話はまた改めて書こうと思います。
長くお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また。








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