細かいことが気にならなくなった自分に気づいた
還暦間近になってから、自分の中で小さな変化があった気がします。
昔は、もっといろんなことが気になっていました。
夫の脱いだ靴下の位置。
お弁当の彩り。
リビングのホコリ。
でも今は、不思議なくらい「まあ、いっか」と思えることが増えてきたんです。
大雑把になった?それとも、肩の力が抜けただけ?

昔の自分から見たら、今の私はたぶん“大雑把”になったと思います。
でも、私はそれを「雑」だとは感じていません。
むしろ、自分の心の余白が増えた気がするんです。
子育てが終わり、仕事や家事も“がむしゃら”じゃなくなった。
あれもこれも完璧にしようとしていた時期を経て、ようやく自分に「許せる」ようになったのかもしれません。
感情の波が落ち着いたのも大きい
感情の起伏が、昔よりだいぶ少なくなりました。
もちろん、全くなくなったわけではありません。
でも、イライラしても長続きしないし、落ち込んでも「まあ、そういう日もあるよね」と受け止められるようになった。
これは年齢のせいなのか、それとも経験の積み重ねなのか……たぶん、両方なんでしょうね。
「あと30年かもしれない」という現実
この頃ふと、「あと30年後には、同世代の多くがもういないかもしれない」と思うことがあります。
暗い話をしたいわけじゃありません。
でも、人生の折り返しをとっくに過ぎた今、“残りの時間をどう使うか”は、無意識のうちに意識している気がします。
そう思ったら、
「ホコリが気になる」
「夕飯が手抜きになった」
そんなこと、どうでもよくなってきたんですよね(笑)
“頑張らない暮らし”は心地いい
私は今、「完璧じゃないけど心地いい暮らし」を目指しています。
お弁当が茶色くてもいいし、洗濯物が畳まれてなくても平気。
夫が探し物をしても、「また〜」って笑えるくらいの心の余裕がある。
「ちゃんとしなきゃ」をやめたら、ラクになった
家事も仕事も、家族も、全部をちゃんとしようとしていた頃。
今思えば、それが一番しんどかった。
きっと私は、「大人なら完璧にこなして当然。」…そんな“謎ルール”に縛られてた頃がありました。
でも、本当の意味での“大人”って、
何を大事にして、何を手放すかを自分で選べることなのかもしれません。
今の私は、いい意味で“いい加減”
「いい加減」って、悪く聞こえるかもしれませんが、
文字通り「ちょうどいい加減」なんですよね。
自分の年齢や体力、気力に合わせて、ちょうどいい暮らし方を選ぶ。
それが今の私には心地よくて、毎日を穏やかにしてくれています。
まとめ:細かいことより、大切なことに目を向けたい
50代になって、大雑把になったのか、肩の力が抜けたのか……
たぶん、その両方なんだと思います。
でもそれは、ネガティブなことじゃなくて、「自分の暮らしを、自分で選べるようになった」ということ。

完璧を手放し、心にゆとりをもつ——
そんな暮らし方を私は「余白活」と呼んでいます。
これからも、自分にとっての“ちょうどいい”を大切にしながら、
無理せず、焦らず、心地よい日々を積み重ねていけたらと思っています。
それでは~また。



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