13年前の3月11日に起こった東日本大震災。
北海道から東北、そして私が住む関東の沿岸まで襲った大津波と日本の形を変えてしまうほどの地殻変動。
あの津波の被害は東京23区の9割にあたる範囲だったと言うからその規模の凄さがわかりますね。
破壊された断層があまりに大きかったため破壊が終了するまで3分と言う長い時間がかかりました。
そのため津波警報などを発表する当時の気象庁システムをも上回るものだったそうです。
防潮堤を乗り越えて襲ってくる津波。
射流という現象が起き、足首ほどの高さの津波でも大人が流されてしまいました。
田老地区を襲った射流とは?
高い場所から水が流れ下ることで勢いが増し、急激に速度が上がるのです。
田老地区では、高さ10メートルもの防潮堤を越え、斜面を流れ下ったことで、「射流」が発生したと言います。出典:NHKニュース
今までは「ここまで逃げれば大丈夫」だったが通用しない・・・多くの事が想定外だったんですよね。
13年経ってもあの時の恐怖は忘れませんね。
当時会議中で本社にいた私はあまりの地震の大きさにデスクにあった携帯を手に取る余裕もなく外に逃げました。
建物はさほど古いモノではありませんでしたが、揺れと壁のひび割れでかなりの恐怖を感じました。
震源地が近いと思ったら、三陸沖だと聞いて愕然としました。
千葉でこの揺れ(震度5強~6弱)だったら東北はどんな状況になっているのか?
恐怖で体が震えました。
早く家に帰りたい。
娘や夫は無事なのか?
運良く娘とは直ぐに連絡が取れて、「お隣のお婆ちゃんと駐車場に避難している」との事でした。
広い平面駐車場があったのでしばらくそこに待機していたようです。
我が家の場合は、家族も友達も無事でしたが、夫の知り合いは車が津波で流されました。
体が無事だった、それだけで十分です。
確か、東日本大震災があった2年後だったかな?
銀座に出掛けた時に皆が交差点で上を見上げていいました。
ふと見ると銀座にあるSONYビルの壁に岩手県大船渡市で観測された津波の高さ(16.7m)が表示されていました。
(赤のライン)
この高さに、驚きと恐ろしさで、通る人は皆立ちすくんでいました。
震災の復興イベントに展示されていた写真です。
大それたことはできないけれど、常に関心を持ち、忘れずに伝えていくって大切な事だなと思います。
せめて1年に1度はブログでも伝えていきたいと思っています。
もちろん、地震大国日本に住んでいる以上、どこに住んでいても備えも大切です。
今年に入ってから能登半島地震がおこり多くの犠牲者と今なお不自由な暮らしをされている方が大勢いますし、私が住む千葉県でも地震が頻発しています。
今朝も千葉県では震度4の地震があり、地震速報で目が覚めました。
今週末は今一度、防災グッズや備蓄品を見直しておこうと思います。
不幸にも亡くなられてしまった方。
自分は無事だったが大切な家族や友達を失ってしまった方。
家が流されてしまって住むところを失ってしまった方。
今もなお、避難者は2万人以上です。(2024年2月1日時点)
3月11日は被災された方々の心や魂が癒されますように、祈りつつ過ごしたいと思います。
防災対策の参考になれば嬉しいです。
初回投稿2019年3月11日