2020年4月18日午前9時56分、父が永眠しました。
78歳でした。
認知症が発覚してから、父親と関わるようになりました。
それがちょうど1年前です。
昨年の10月に熱を出し、検査をするとγ-GTP値が900IU/Lを超えていたことから、精密検査を受けました。
その結果、胆管癌が見つかりました。
高齢であることと、アルツハイマー型認知症であることから、主治医の勧めもあり、積極的な治療を行わずに緩和ケアを希望しました。
波はあったものの、食事も取れて、デイサービスへも通っていました。
一緒に、買い物に行ったり・・・。
回転寿司を食べに行ったり・・・。
信じられないくらいに、たくさんの会話もしました。
なんせ、多い時で1日20回も電話がかかってきていたのでね。
家中にへそくりを隠しておいたのが懐かしい。
一度にお金を渡すと、全部一気に使っちゃうのでね。
「お金がないんだよ」と連絡があるたびに、隠し場所を伝えて渡していました。
癌性腹膜炎になり、入院治療となりそのまま自宅に帰ることはありませんでした。認知症のために、深く自分の病気を気にすることもありませんでした。
世話をしてくれる看護婦さんを「俺の彼女なんだよ」と言ったり、デイサービスのスタッフがとても親切で、早く退院して会いにいきたいと言ったりしていました。
本来なら、激しい痛みを感じるはずなのに、「お腹を押すと良い気持ちなんだよ」とニコニコしながら話していた父。
主治医の話しでは、認知症だと痛みを感じないことが多々あるとのこと。
痛みも感じず、自分が癌になったこともちゃんと理解できない父を見て、アルツハイマー型認知症になって良かったんだと思いました。
3月上旬には、医療療養型病院に転院しました。
転院の時に、ずっと気になっていた父の弟の墓参りも行けました。
その後、コロナウイルスの影響で面会ができなくなりました。
父の急変の知らせが来たのが、4月17日の夕方でした。
1週間程度、食事も取れなくなり、血圧も低下しているとのこと。
病院に駆けつけると、まだ意識もはっきりとあり私たちの声掛けにも反応していました。
一旦、自宅へ帰った翌朝5時過ぎに再度病院から電話が入りました。
「血圧が40まで低下しているので、直ぐに来てください」
夫の運転で病院へ向かいました。
その日はあいにくの大雨でこんなことを呟いていました。
つい先ほど、父親の病院から血圧低下の連絡が入る。
夫の運転で高速を使って向かっています。
間に合うか?
雨が恨めしい。— Rin@ライブドア公式(書籍販売中) (@rinsimpl) April 17, 2020
病院へ到着すると、酸素マスクをした父が小さく息をしていました。
間に合って良かった。声掛けをすると、大きく頷きました。
見えてはいないようだけれど、私達の声はちゃんと聞こえているようでした。
どんどん呼吸が浅くなり、その間隔も開いてきました。
その時が来たと察知し、
「ありがとうね」
「何も心配しなくていいよ」
「痛いことは何もないからね」
何度も、そう声掛けを続けました。
しばらくして、眉間に二回ほど皺を寄せて、軽く咳払いをする仕草をみせ、息を引き取りました。
ただ呼吸をしていないだけで、まだ起きだしそうな感じがしましたが、もう動くことはありませんでした。
黄疸は出ているものの、安らかな死に顔。
3月の中頃に会った時に、交わした言葉が最後だったなと思い出しました。
「気をつけて帰れよ!」
「看護婦さんに良く礼を言っておけよ」
自分の事も、ままならないのにと、笑いながら「はい、はい!」と、返事をしたのが最後でした。葬儀は、コロナの影響もあり身内のみで済ませました。
そのことについては、落ち着いたら改めて書きたいと思います。
また、外出自粛中なので、
諸々のことは5月以降にやることにして、今日は自宅でゆっくり過ごしました。
父の介護がスタートしたのが1年前。
幼い頃に捨てられて、辛い記憶しかない父との関係。
自由気ままに生きてきた父親。寝たきりになるか、認知症になるまでは、優しい言葉は掛けたくないと思っていました。
しかし、最後の1年、父に関われたことは、本当に良かったと思います。
父親のためだけでなく、私のためにも。憎んだままでなく、「ありがとう」と、素直にお別れを言えたから。
そのための1年だったんだと思います。
今回のことで、色々とご心配を頂き、メッセージや電話を頂きました。
ありがとうございました。
明日からは、いつも通りの更新をしたいと思います。
それでは!